実家を離れ(2回目)東京へ
東京に本社のある会社へ就職が決まり、おら東京さ行ぐだ!となってまた一人暮らしが始まりました。
住んだところは会社の寮がある埼玉県川越市、勤務先は日テレのある麹町、遠い!
初めての電車通勤で満員電車というものを経験しました。乗車時間は約70分!これは結構きつかったです。今ではもう絶対にあんなことはできないという自信があります。通勤だけでクタクタになってしまいます。
会社の寮には1年半くらい住んだ後に杉並区に引っ越し、電車の乗車時間は20分になりました。
2社目の仕事
2社目の会社はこちらも製造業で技術開発にすごく力を入れている会社でした。社員の1/3が技術系の社員で毎月技術系社員を全員集めて報告会を開いていました。
ここでは「設計して形にする」というものづくりではすごく当たり前の喜びを感じることができました。前社も製造業なので基本は同じなのですが、どこか規格で決められた物、ルーティン作業と感じていました。ここでは割と自由に製品開発・設計ができ、それ故の苦労もありましたが自分の成長や社会への貢献も感じることができました。
そしてこの時には様々な業種のお客さんや大学の先生、デザイン会社の方達など多種多様な人と出会うこともできました。前職は割と狭い業種の中の出会いしかなかったのですが、色々な人の色々な仕事を見ることができて、好奇心を刺激される環境でした。
Do It Yourself
前の会社を退職して実家に戻ったあたりから自分で家具などを作るようになります。明確なきっかけがあったわけではないですが、元々よくある既製品にはあまり惹かれず、かと言ってたまに出会う美品は高すぎる!ということで自分好みのものを自分で作ろうとなりました。独学なので歩みはゆっくりですが本棚、収納棚、テーブル等を設計して製作する過程はとても充実した時間です。
転職して割と自由な設計をさせてもらえるのもDIYと相性が良かったと思います。仕事の知識が趣味に活かされ、その逆もあるので知識を増やすのが楽しくなりました。
このDIYの知識や技術は後の日本家屋改築に生かされたいくことになります。
私のDIY歴を語る上で欠かすことのできない本があります。駒沢大学近くの古本屋で見つけた本で、著者は本の中でものづくりを含めた様々な挑戦をしているのですが、私がやりたいと思っていることと同じ、またはこの本に影響を受けてやってみたい!と思えることが多く、今でも私のDIYバイブルとして本棚に鎮座しています。

結婚と食生活の変化
東京に来てから2年後、上京してから知り合った今の妻と結婚します。この頃から食生活が変わり始めます。
高校生までの実家にいた頃は周りに食べる場所もなかったので、外食という機会が本当に少なく母の作った和食中心の料理を食べていました。大学進学以降の一人暮らし期は作ることの面倒さから買ったものを食べがちでした。特に私は若い頃は空腹状態になると力が抜けてフラフラ状態になっていたので、そんな状態で作る気にもなれませんでした。
妻は料理は好きな方で、さらに外国の料理にも非常に興味を示すので、色々と食べたことのない料理を作ってくれたり、お店にも食べに行きました。私の和食中心の食歴からすると新鮮で驚きに溢れた体験でした。読書の中で様々な価値観や考え方を知って他人を受け入れられるようになったように、料理も様々な国の味や栄養を知れたことは大きな経験でした。
関東の山を登る
東京に来たことで関東の山々にも登るようになります。関東には奥多摩や奥秩父など良い山がたくさんあります。こちらでも会社で出会った同僚と一緒に山に登るようになります。
この時期は山の頂上でしっかり目に料理を楽しむスタイルの登山が多かったです。主食、主菜、汁物そして挽きたてのコーヒーを楽しんで温泉に寄って帰るといった感じです。
コーヒーと言えばこの頃は神楽坂にあったギルドコーヒーという珈琲屋の豆をよく買っていました。ギルドコーヒーは2018年ごろに宮崎県に移転してしましますが、この時に飲んだマンデリンの美味しさは今でも脳裏に焼きついています。深いコクと適度な苦味。間違いなく今までに飲んだマンデリンの中で今でも1番の美味しさです。
転勤と息子誕生
そんな頃、会社では本社から新しく建てる研究所への転勤が決まりました。やることは変わらないのですが、なんせ転勤先が遠い!妻の勤務先とは逆方向なので、中間地点に引っ越しますが、それでも電車で1時間40分かかります。仕方ないかーと思っていたのですが、その頃に妻が妊娠します。長時間通勤をしながら育児ってできるのか?と不安になりながら妊娠期間中を過ごしていました。
子供が生まれてからの半年間くらいは妻が実家に戻っていたり、育休をとって子育てをしてくれたおかげで私はそこまで負担を抱えることなく仕事に専念できました。
妻は1年くらい育休をとって、子供が1歳になった後の4月から保育園に通うようになるんだろうなーと思っていたら、出産後7ヶ月くらいで仕事を復帰し、認可外の保育園に預けると言い出します。そうなん?と思いましたが理由を聞いてみると、何の準備もなく希望の(家から近い)保育園に入ることは難しいから今から認可外の保育園に預けてポイントを稼ぎ、来年の4月には有利な状況で保育園の入園希望を出したいとのこと。
妻は保育園への入園について色々と調べてくれていて、東京都のシステムでは共働きや認可外保育園への預け状況などによって点数が加算され、ポイントが高いほど希望通りの園に入園できるよう(今どうなっているかわわかりません)。人口減少で経済が縮小することが決定的な日本で今だにこんなシステムの中で子育てしないといけない環境に何だかな〜と思いながら、妻の言う通りにしました。ただ、相変わらず大変なのは妻の方で私の育児による負担は大きくは増えていませんでした。
芽生える地方移住への意欲とコロナ禍
田舎育ちのせいか、漠然といつかは田舎で自分の家を持って暮らしたいと考えていました。しかし定年後、老後の楽しみというよりもまだ体が元気な頃に実現したいと思っていました。東京で子育てをする中でやはり子育ての環境というものを考えるようになり、自然との近さ、食との近さを感じるには田舎がいいな〜と思い、段々と具体的に地方移住を考えるようになります。
そんな中で子供が1歳になるころコロナ禍がやってきます。私の会社はコロナ禍であろうがマスクを付けて出社するスタイルだったので、人とのコミュニケーションという点では大きな変化はありませんでしたが、妻はリモートワークに変わり、人との関わりが薄れて窮屈そうでした。子供は楽しそうに保育園に通っていましたが先生たちはマスクをつけての勤務で、何だか窮屈さを感じていました。
妻の実家へ移住
移住先を検討する中で真っ先に候補に上がったのが妻の実家でした。
東京の隣の千葉県にあり、周りは緑に囲まれ、ほぼ物置として放置されている日本家屋がある。これは良いということで妻の両親に相談したところ、あっさり「いいよ」ということでその後は具体的な計画に移っていきます。
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