幼少期〜大学

幼少期の環境

私は山間の小さな集落で仏壇職人の父と専業主婦の母、祖母、姉、弟の6人家族で育ちました。マイペースな両親で自分もおとなしい性格だったため、のんびりとした幼少期を送っていました。

父親は仕事の話をする人ではありませんでしたが、小さい頃から工場に出入りしてものづくりには近い生活だったように思います。工場では父と叔父の二人が働き、たまに親戚が手伝いに来るような家族経営のお店でした。

山に囲まれた生活

私の生まれた所は山に囲まれた谷間にできた集落でした。谷間には川が流れていて、家の周りにも小さな川が流れているような場所です。小さい頃は何も感じませんでしたが、今実家に帰ると綺麗な所だな〜と思ったりします。しかし、良いことばかりではなく、山に囲まれているため日が昇るのが遅く、沈むのが早いです。冬は特に早いです。夕日が綺麗だな〜と思うことがないです。夕日になる前に沈みます。

山が近いせいか、父親はよく近くの山に連れて行ってくれました。一般的に登山と言われるようなみんなが登る山にも行きましたし、春になると蕗やゼンマイといった山菜を摘みに地元民しか入らないような山にも行きました。この時に何となく山の歩き方というものを覚えた気がします。そして妙な特技として擬態する虫を見つけるのも上手くなった気がします。

過疎地域での暮らし

私の住んでいた地域は過疎化が進んでおり幼稚園〜中学校まで1学年1クラス、転校以外ではメンバーが変わらない地域でした。その世界しか知らないため違和感なく過ごしていましたが、今思うとすごく狭い価値観で暮らしていたと思います。中学校の全校生徒は70人くらいでした。1学年ではなく全校生徒です。

しかし、自分から積極的に人に話しかけて友達を作るタイプではないので、同じメンバーで中学まで過ごせたことは幸運だったのかもしれません。よくわかりませんが、大きな学校だとクラス替えのたびに友達作りとかになるんでしょうか?そうだったとしたら結構大変です。

コンプレックスから競争を避けるように

小さな小・中学校では勉強は何とかなりましたが、運動が得意な子が周りに多くいて、その子達には勝てないとコンプレックスを持っていました。コンプレックスを克服するために努力する熱量もなく、そのせいか人と競い合って一番を目指すことが苦手になりました。

仏壇家で育ち仏教に近かったから?なのか、情熱家という感じではないです。仏教って何となくパッション!ではなく、執着せずに悟りを開く調和系な感じがするので、自分もそんな性格になったのかも知れません。わかりません。

それでも中学の部活動はソフトテニスを3年間続けました。テニスが好きだったと言うより、選択肢がバレー部かソフトテニス部の2択しかなく仲の良い子達はソフトテニスを選んだので、それに合わせて入部したと言う感じです。

一気に学年の人数が増えた高校時代

高校に進学するとコンビニが普通にあるくらいの少し街の高校となり1学年7クラスに人数が一気に増えました。40人x7クラスで合計280人です。これまで25人だった学年から10倍以上に人数が増えました。初めは知らない人ばかりで少し戸惑いましたが、中学でやっていたソフトテニス部の大会繋がりで自然と友達もできました。

友達はできましたが、高校進学後から勉強が苦手になります。というか中学でも大して勉強していませんでしたが、周りのレベルに助けられ(失礼!)上位にいました。しかし、高校では人数も増えて大して勉強もしていない私はどんどん順位が下がっていきました。ここで危機感を持つべきですが、勉強する目的もわからず身も入らないまま成績は下位へ…

そんな中でも数学と物理はかろうじて着いていけたので、高校2年の時に理系クラスか文系クラスのどちらに進学するかを選択するときは理系1択でした。正直、高校時代の歴史や英語の授業を全く覚えていません。

実家を離れ大学へ進学

高校では勉強が嫌いになりましたが、大学は行っといた方がいいかなーと言う漠然とした不安から受験をして大学に進学しました。数学と物理がかろうじてできるレベルなので国公立は論外。私立の工業大学に進学しました。

元々やりたいことがあって進学したわけではないので、特に何かに打ち込むこともなく漫然と大学生活が過ぎていきました。振り返ると高い学費を出してもらっていた親には申し訳ない気持ちになります。(そして高い奨学金を借りて大学に行っていることに無自覚だった当時の自分が恥ずかしいです。)当時の自分に言いたいです。奨学金=借金である!と言うことに。そんなの当然でしょと思うかもしれませんが、当時の自分はそんなこともわかりませんでした。

しかし大学3年生後半くらいから研究室に配属され、自分の研究テーマを持つようになります。これまでこれをしなさいと受動的な勉強ばかりだったのが、自分の研究テーマに必要なことを調べて勉強する能動的な勉強に変わりました。この頃から勉強することが楽しくなり、大学院に進むことを決めました。

洋ロックとの出会い

高校の頃からハイスタやゴイステといったインディーロックにハマって聴いていましたが、大学生になって60年代の洋ロックに目覚めてしまいます。特に衝撃を受けたのがフランクザッパとキングクリムゾン。ザッパの複雑怪奇な音楽とキングクリムゾンのアルバムの世界観には、これが50年近く前に作られた作品なのかと興奮と驚きで胸が高鳴ったのを覚えています。

大学院進学と就職

大学院に進学しましたが、やっていることは大学4年生の頃とあまり変わりませんでした。研究テーマの取り組みだけではなく、減りはしましたが授業も普通にありました。

この頃世間ではリーマンショックで大騒ぎでした。大卒で就職していった同級生たちは影響を受けず就職して行ったのですが、自分はどうなるんだろう、そんなに大変なことが起きているのかなーとやや他人事に思っていました。いざ就職活動が始まると周りと同じように就活サイトに登録してエントリーシートを作成しました。ただ、自営業の家で育ったためか会社に就職して働くということがいまいちイメージ出来ませんでした。それでも内定をもらった会社へ入社することになります。

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